成長するってこと(Growin’Up)
2001年7月15日…2週間振りの更新となってしまった。
紛いないしも「日記」という形式を取っている限り、この事実は致命的だと自分でも思う。そう、存在する意味を失っているとも言えよう。
かと言って、この2週間、全く何もしていなかった訳では当然ない。むしろ、書きたい事は本当にたくさんあって、実際、毎日PCの画面には向かっていた(きっと信じてもらえないだろうけど)。
だけど、「文章」にならなかったんだ。書きたいと思う事と、現実に「文章」として目の前に写っているモノが完全に乖離してしまったような感覚しかなかった(別に薬物を使用しているわけでもないのに)。結局、僕は2週間分のマテリアルを一切ボツにするしかなかった。正直、たかが「日記」だ。でも、されど「日記」でもあることに、この2週間頭を抱えてた。今月の初めにこの「日記」を書き始めようと決心した時、まさか自分が「文章」を書くことが出来なくなるとは、思いもしなかったし。
要は、スランプというヤツに、日記開始後たったの2日で陥ったという訳だ。7月に入って、急にここ数ヶ月間も自分を束縛していた物事から開放されたということもあって、自分の自然体を忘れてた(今も完璧に自然体になったとは思えないけど)。表面上の自覚症状は無いけど、環境の変化に馴染めていなかったのだ。
この2週間は、僕にとって、まさに久方振りの「ロックンロールライフ」の再来だった気がする。試験の事後フォローのために嫌々ながらも予備校に足を運んだり、企業で作文を書かされたり、ゼミの教授と飲んだり、炎天下の下でサッカーをしたり、約2年振りに銭湯に行ったり、初訪問の中目黒で酔いつぶれたり、最終面接で熱く語ったり、大学の屋上から日が暮れるのを望みながら友達と酒を酌み交わしたり…。これだけ濃密な経験をしたのだから、当然「文章」として残したいと切に願ったし、日常的に読書(学術書・小説・漫画)をしたり、集中的にビデオを観たり、もちろん音楽も絶え間無く(←あくまで比喩表現だけど)耳にすることで、何とかインスピレーションを得ようとした。でも、満足するような「文章」は仕上がらなかった。産みの苦しみ。
そして、今日は半年振りに横浜に行ってきた。この2週間の内に、東京は(早過ぎる)梅雨明けを迎えていた。横浜は暑かった。海が綺麗だった。これまで自分をがんじがらめにしている「意味」に囚われてるのが、とても虚しくなった。
「これで良いのか?」という感覚は、常に僕に取り憑いている。「それでいいのさ」と割り切れる程、僕は達観出来ていないし、またきっと出来ないとも思う。だけど、いつまでも「停滞」している訳にも行かない。少しでも「前に進みたい」という志が無いと、進化も発展も、そして成長も無いと改めて思った。そうしたら、また「文章」が書けるようになった。
R.E.Mのマイケルスタイプは、『Monster』を製作するに当たって、「自分の無神経な部分に正直になって、一時的にしろ無責任なロックンロール馬鹿を演じても良い頃だ」と判断したという。そして、そんな経緯を経た完成品を「凄く生々しくて、淫らで、不潔で、動物的で、恥知らずで、セクシーなアルバム」と呼んだ。人間には誰にでも、そういう時期が、そういう季節が必要だと僕は思う。だから、過ぎ去った2週間分の「日記」は書き足すつもりはない。それは既に失われてしまったものだし、空白にしておくしかないと思うからだ。
紛いないしも「日記」という形式を取っている限り、この事実は致命的だと自分でも思う。そう、存在する意味を失っているとも言えよう。
かと言って、この2週間、全く何もしていなかった訳では当然ない。むしろ、書きたい事は本当にたくさんあって、実際、毎日PCの画面には向かっていた(きっと信じてもらえないだろうけど)。
だけど、「文章」にならなかったんだ。書きたいと思う事と、現実に「文章」として目の前に写っているモノが完全に乖離してしまったような感覚しかなかった(別に薬物を使用しているわけでもないのに)。結局、僕は2週間分のマテリアルを一切ボツにするしかなかった。正直、たかが「日記」だ。でも、されど「日記」でもあることに、この2週間頭を抱えてた。今月の初めにこの「日記」を書き始めようと決心した時、まさか自分が「文章」を書くことが出来なくなるとは、思いもしなかったし。
要は、スランプというヤツに、日記開始後たったの2日で陥ったという訳だ。7月に入って、急にここ数ヶ月間も自分を束縛していた物事から開放されたということもあって、自分の自然体を忘れてた(今も完璧に自然体になったとは思えないけど)。表面上の自覚症状は無いけど、環境の変化に馴染めていなかったのだ。
この2週間は、僕にとって、まさに久方振りの「ロックンロールライフ」の再来だった気がする。試験の事後フォローのために嫌々ながらも予備校に足を運んだり、企業で作文を書かされたり、ゼミの教授と飲んだり、炎天下の下でサッカーをしたり、約2年振りに銭湯に行ったり、初訪問の中目黒で酔いつぶれたり、最終面接で熱く語ったり、大学の屋上から日が暮れるのを望みながら友達と酒を酌み交わしたり…。これだけ濃密な経験をしたのだから、当然「文章」として残したいと切に願ったし、日常的に読書(学術書・小説・漫画)をしたり、集中的にビデオを観たり、もちろん音楽も絶え間無く(←あくまで比喩表現だけど)耳にすることで、何とかインスピレーションを得ようとした。でも、満足するような「文章」は仕上がらなかった。産みの苦しみ。
そして、今日は半年振りに横浜に行ってきた。この2週間の内に、東京は(早過ぎる)梅雨明けを迎えていた。横浜は暑かった。海が綺麗だった。これまで自分をがんじがらめにしている「意味」に囚われてるのが、とても虚しくなった。
「これで良いのか?」という感覚は、常に僕に取り憑いている。「それでいいのさ」と割り切れる程、僕は達観出来ていないし、またきっと出来ないとも思う。だけど、いつまでも「停滞」している訳にも行かない。少しでも「前に進みたい」という志が無いと、進化も発展も、そして成長も無いと改めて思った。そうしたら、また「文章」が書けるようになった。
R.E.Mのマイケルスタイプは、『Monster』を製作するに当たって、「自分の無神経な部分に正直になって、一時的にしろ無責任なロックンロール馬鹿を演じても良い頃だ」と判断したという。そして、そんな経緯を経た完成品を「凄く生々しくて、淫らで、不潔で、動物的で、恥知らずで、セクシーなアルバム」と呼んだ。人間には誰にでも、そういう時期が、そういう季節が必要だと僕は思う。だから、過ぎ去った2週間分の「日記」は書き足すつもりはない。それは既に失われてしまったものだし、空白にしておくしかないと思うからだ。
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