ダンス・ダンス・ダンス(Dance Dance Dance)
2001年7月18日 最近、ふとしたきっかけから(と言っても、単にドラマの影響なんだけど)ゴーヤチャンプルーを食べてみたいと思うようになった。にがうりを使った、沖縄の郷土料理であるが、これまで僕としては、いくら世間で話題に持ち上がることがあっても、ゴーヤはおろか、沖縄に対してさえ、たいした興味や関心を抱くことはなかった。むしろ「沖縄ばかりちやほやされて」と、快く思っていなかった節があったとも思う。
それがどうだろう。実家で飲んだ泡盛を境に、自分の中でゴーヤに対する好奇心が高まっていくなんて、全く予想だにしなかったことだった。幸い、この話を友人達にしたところ、料理法から入手に至るまで助力してもらえ、かなりスムーズにゴーヤチャンプルにまで辿りつくことが出来たわけである。
結果として、自作のゴーヤチャンプルは、これまで自分がイメージしていたよりも、中々僕の口に合い、「どうせマズイに違いない」という偏見を完全に打ち破ることとなった。今回の調理法は関西風の薄味ベースだったので、次回は本格派の味付けにも挑戦したいと思ったほどだ。
しかし、この緑色で表面がブツブツした野菜を見ると不思議で仕方ない。ゴーヤは非常に苦い。とてもじゃないけど、単品で食べることには抵抗がある味だ(実際、嫌いな人も多いし)。まあ、にがうりの一種なんだから当然のことなんだけど。それにも関わらず、僕は、人々はゴーヤを調理して食べるし、これまでずっと沖縄では食されてきた。
いったいそこに意味はあるのだろうか?「そんなに無理する必要はないんじゃないか」。確かに、栄養的な面や、沖縄の食糧供給事情も加味しないと、本質には辿り着かないだろう。でも、沖縄の人々は、いったいどんなきっかけで、この不恰好とも言える野菜を食べる気になったのだろうかと、思わずにはいられない。
結局、人間は「運命」に支配されているだけなのだろうか。沖縄の人々がゴーヤを食べる運命。僕がゴーヤを食べる運命。ゴーヤから話題が膨らみ過ぎた感は否めないが、とても関係のあることだと思う。
「乗り越えるべき壁」「進むべき進路」が頭の大半を占める時期に差し掛かって、毎日のように様々な問題があらゆる方面から降りかかるようになった。別に被害妄想なんかではなく、誰にでも大小に差こそあれ、日々普通に生活しているだけで、人間の行く先にはハードルが存在する。ただ、今の僕がそれらを察知する感受性が鋭くなっているだけのような気がする。だからであろうか、最近、全てが「運命」の支配下にあることを意識することが多い。所詮、お釈迦様の掌で踊っているに過ぎないのかもしれない。
「人間は運命の奴隷」。こう断言してしまったら、一切はスッキリと解決されるのか。「それじゃ、人間の生きる意味は?努力することの意義は?」。まさに、堂堂巡りってヤツだ。複雑に絡み合った人間関係、自己実現の欲求、そして成功と失敗。これがいかに決定されるか、最近僕は床に就くと、否応無しにそんな命題を突き付けられてられているような気分になる。
こんな風にして眠れない時、定期的にプレイヤーに載せるアルバルがある。MR.CHILDREN/「Atomic Heart」。中学2年生時に発表された作品だけど、この作品の真価は年を追う毎に理解出来るようになり、僕の中で血肉になっている。「原子(=最小単位)の心」。珠玉のメロディーは、王道的なロックンロールから、肌触りの優しいポップソング、はたまたサンプリング・ループを取り入れた現代的なアプローチが随所に光るシリアスな曲郡が、完璧な曲順で展開される。しかし、こうした高度な音楽的な側面よりも(と言っても、それに気がついたのはここ数年だけど)、今の僕が求めているのは、様々なシチュエーションの主人公が登場する歌詞の方だ。ミスチルは女の子がキャーキャー黄色い声援を飛ばすようなバンドでもないならば、知ったかぶりの中高生が上辺だけをなぞって聴くようなバンドでもない。まさに、僕達20代の男性が真剣に聴くべきバンドだと思う。「まだまだ若いわけだし、当然楽しく遊んだり、良い恋愛もしたいよ。だけどさ、仕事等の社会的責任や、将来が重く圧し掛かって来たりして、何か上手く行かないんだよね。ホント、どこか閉塞感があるというか…」。こんな20代独特の心象風景が、この作品の中にはリアルに描かれていると思う。満たされない思い。再生と復活。背負っていかなければいけない事。
東京は二夜連続して(恵の)にわか雨。雷鳴の音が少し懐かしく思えた。
Thanks For The Inspiration Of…
GOLDIE/「Timeless」
MASSIVE ATTACK/「Blue Lines」
THE JESUS AND MARY CHAIN/「Psycho Candy」
MR.CHILDREN/「Atomic Heart」「Q」
それがどうだろう。実家で飲んだ泡盛を境に、自分の中でゴーヤに対する好奇心が高まっていくなんて、全く予想だにしなかったことだった。幸い、この話を友人達にしたところ、料理法から入手に至るまで助力してもらえ、かなりスムーズにゴーヤチャンプルにまで辿りつくことが出来たわけである。
結果として、自作のゴーヤチャンプルは、これまで自分がイメージしていたよりも、中々僕の口に合い、「どうせマズイに違いない」という偏見を完全に打ち破ることとなった。今回の調理法は関西風の薄味ベースだったので、次回は本格派の味付けにも挑戦したいと思ったほどだ。
しかし、この緑色で表面がブツブツした野菜を見ると不思議で仕方ない。ゴーヤは非常に苦い。とてもじゃないけど、単品で食べることには抵抗がある味だ(実際、嫌いな人も多いし)。まあ、にがうりの一種なんだから当然のことなんだけど。それにも関わらず、僕は、人々はゴーヤを調理して食べるし、これまでずっと沖縄では食されてきた。
いったいそこに意味はあるのだろうか?「そんなに無理する必要はないんじゃないか」。確かに、栄養的な面や、沖縄の食糧供給事情も加味しないと、本質には辿り着かないだろう。でも、沖縄の人々は、いったいどんなきっかけで、この不恰好とも言える野菜を食べる気になったのだろうかと、思わずにはいられない。
結局、人間は「運命」に支配されているだけなのだろうか。沖縄の人々がゴーヤを食べる運命。僕がゴーヤを食べる運命。ゴーヤから話題が膨らみ過ぎた感は否めないが、とても関係のあることだと思う。
「乗り越えるべき壁」「進むべき進路」が頭の大半を占める時期に差し掛かって、毎日のように様々な問題があらゆる方面から降りかかるようになった。別に被害妄想なんかではなく、誰にでも大小に差こそあれ、日々普通に生活しているだけで、人間の行く先にはハードルが存在する。ただ、今の僕がそれらを察知する感受性が鋭くなっているだけのような気がする。だからであろうか、最近、全てが「運命」の支配下にあることを意識することが多い。所詮、お釈迦様の掌で踊っているに過ぎないのかもしれない。
「人間は運命の奴隷」。こう断言してしまったら、一切はスッキリと解決されるのか。「それじゃ、人間の生きる意味は?努力することの意義は?」。まさに、堂堂巡りってヤツだ。複雑に絡み合った人間関係、自己実現の欲求、そして成功と失敗。これがいかに決定されるか、最近僕は床に就くと、否応無しにそんな命題を突き付けられてられているような気分になる。
こんな風にして眠れない時、定期的にプレイヤーに載せるアルバルがある。MR.CHILDREN/「Atomic Heart」。中学2年生時に発表された作品だけど、この作品の真価は年を追う毎に理解出来るようになり、僕の中で血肉になっている。「原子(=最小単位)の心」。珠玉のメロディーは、王道的なロックンロールから、肌触りの優しいポップソング、はたまたサンプリング・ループを取り入れた現代的なアプローチが随所に光るシリアスな曲郡が、完璧な曲順で展開される。しかし、こうした高度な音楽的な側面よりも(と言っても、それに気がついたのはここ数年だけど)、今の僕が求めているのは、様々なシチュエーションの主人公が登場する歌詞の方だ。ミスチルは女の子がキャーキャー黄色い声援を飛ばすようなバンドでもないならば、知ったかぶりの中高生が上辺だけをなぞって聴くようなバンドでもない。まさに、僕達20代の男性が真剣に聴くべきバンドだと思う。「まだまだ若いわけだし、当然楽しく遊んだり、良い恋愛もしたいよ。だけどさ、仕事等の社会的責任や、将来が重く圧し掛かって来たりして、何か上手く行かないんだよね。ホント、どこか閉塞感があるというか…」。こんな20代独特の心象風景が、この作品の中にはリアルに描かれていると思う。満たされない思い。再生と復活。背負っていかなければいけない事。
東京は二夜連続して(恵の)にわか雨。雷鳴の音が少し懐かしく思えた。
Thanks For The Inspiration Of…
GOLDIE/「Timeless」
MASSIVE ATTACK/「Blue Lines」
THE JESUS AND MARY CHAIN/「Psycho Candy」
MR.CHILDREN/「Atomic Heart」「Q」
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