そして鐘が鳴る(The Chime Will Ring)
2001年10月22日 地元の友人のYが結婚する事になった。しかも、できちゃった結婚と言うこともあって、12月には一児の父になる。きっと年末年始は、彼にとってこれまでにないくらい忙しいものになるだろう。
考えてみると、僕達の年齢であったら特段珍しいわけではないだろうし、そのことは僕にも薄っすらとだけど、認識できている。現に帰郷するたびに『誰々に子供が産まれたらしいぜ』なんて事が、噂に上るのもざらじゃない。
しかし、いくら覚悟していた事とは言え、自分が親しくしていた友人が結婚⇒父親になると言う現実を目の前にすると、僕にとっては半端じゃない衝撃だった。Yとは小学校時代からの友人で、僕の両親とも面識があったので、すぐさま僕は両親にこの事実を報告すると共に、ショックを隠しきれない今の自分の心境を吐露したのだが、両親には軽くあしらわれてしまった。
僕の父は今の僕達の歳に母と結婚し、翌年には僕が産まれている。だから、僕の両親は驚く僕を尻目に、Yの肩を全面的に持つのも分からないことじゃない。しかし、僕はそんな両親を尊敬しているし、Yを今でも友人だと思っているが、彼らの生き方には何も共感できない。むしろ、僕の価値観とは対極に位置していると思っている。まさに『彼岸の火事』を眺める感覚だ。
Yは責任を背負った。その責任は非常にリアルで重く、そして逃れられられないものだ。僕の両親はそんなYを立派だと思い、『まだ勉強を続けて、さらに先を目指したい!夢を追いたい!』と願う僕を『甲斐性がない』と思っているのだろう。確かに僕は自分がモラトリアム状態であるを否定できないし、単に責任逃れしているだけなのかもしれない。
もちろん正直いまいち実感が湧かないとは言え、僕は結婚したくないわけじゃないし、責任を背負うこと対して不安に抱いてはいるが、全てを放り投げたいとは決して思っていない。結局は『こんなに早く自分の人生に決定打を刻み込んで良いのか?』という事なのだろう。僕の掴みようがないこの気持ちは。
Yとは小・中学校とクラスメートで、グループとしてだけでなく、近所と言う事もあって2人でもよく遊んだ。『時が経つのってホント早いよね…』。僕は周囲のみんながこんな台詞を吐くのを聞くたびに思わず身震いしてしまい、内心では必死に否定しているのだが、さすがに今度ばかりはYと過ごしたつい数年前を思い出すだけで、どうしようもないくらいに時の流を痛感してしまう。当たり前だが、全てが子供染みている記憶だ。しかし、その頃の僕達は間違いなく、物凄いスピードで色褪せて行っている。
Yは商業高校に進学し、僕や他に親しくしていた仲間はほとんど普通科の進学校に進学した。しかし、高校時代はまだ中学時代までの延長線上の付き合いがあった。互いの高校の話をしたり、好きな音楽や芸能人の話をしたり、会う機会こそ減ったものの、表面上の親密度には何ら変わりがないように思えた。
それが急変したのは高校卒業時だった。彼は地元に就職し、僕達は東京の大学に進学した。彼の元からは一気に親しい友人が減った。彼の周りを見渡しても、何の気なしにつるめる仲間はいなくなってしまった。しかも、学生生活とは各段に厳しい社会に飛び込んだばかりだ。急激な環境の変化が彼を襲ったのだろう。
しかし、多少は戸惑いながらも、受験の鬱憤を晴らすように東京の大学で悠悠自適の生活を始めた僕達は、そんなYを気遣う配慮を忘れてしまった。田舎の倦怠感を早く捨て去りたいと思い、都会の刺激を積極的に求めていた。だから、僕達が長期休暇で帰省し、Yと久々の再開を果しても、そこにあるのはすれ違いばかりだった。少しの成長も見られず、田舎の狭い価値観に縛られたままのYを僕達は次第に煩わしく思うようになっていった。東京に出たことで、自分が急成長した気になっていて、時間の流れが止まったままのYを、正直どこか軽蔑していたのかもしれない。今思うと、本当に自惚れも甚だしい。僕はどうしてYの置かれた状況に対してもう少し寛容になれなかったのだろう…。
そして僕とYは疎遠になっていった。いつしか僕は、Yを東京の友人との話のネタにして笑いを取るくらいになっていた。そんなYからの2年振りに電話が結婚の報告だった。今やYは自分・奥さん・子供と言う3人もの生活を支えていかなければならない。そのためにはとてもじゃないけど、自分のために時間を費やす余裕はないだろう。挙式が行えない代わりに、簡単な会を催すことを僕達が提案しても、Yはそんな暇はないときっぱり断ってしまった。Yはどこか僕達を避けているようだった。
Yは落ち着いた。そして明らかに枯れてしまった。これを成長と捉えて良いのか僕には分からないけど、Yは今の自分の姿を僕達には晒したくないのだろう。Yが東京での生活を続ける僕達を羨望の眼差しで眺め、惨めな思いをしているかどうかは分からない。だけど、僕はYにとってはこれで良かったと信じたい。Yは誰もが登るであろう階段を、僕達より一足早く登っただけけなのだから。
僕はYが今どんな音楽を聴いているのか、また好きな芸能人は誰かはおろか、実は現在の就職先も奥さんの事も知らない。もはやYと僕はかつてのような友達じゃないのかもしれない。だけど、心からこう言いたいと思う。『結婚おめでとう。そして幸せに。』
Thanks For The Inspirations Of…
PETER GABRIEL/「So」
小島麻由美/「二十歳の恋」
THE STROKES/「Is This It」
STEELY DAN「Aja(エイジャ)」
フィッシュマンズ/「8月の現状」
BUFFALO SPRINGSFIELD/「Again」
CORNELIUS/”Holidays In The Sun e.p”
MANIC STREET PREACHERS/「Know Your Enemy」
CORNERSHOP/「When I Was Born For The 7th Time」
山崎まさよし/「ドミノ」”One More Time,One More Chance””Plastic Soul”
考えてみると、僕達の年齢であったら特段珍しいわけではないだろうし、そのことは僕にも薄っすらとだけど、認識できている。現に帰郷するたびに『誰々に子供が産まれたらしいぜ』なんて事が、噂に上るのもざらじゃない。
しかし、いくら覚悟していた事とは言え、自分が親しくしていた友人が結婚⇒父親になると言う現実を目の前にすると、僕にとっては半端じゃない衝撃だった。Yとは小学校時代からの友人で、僕の両親とも面識があったので、すぐさま僕は両親にこの事実を報告すると共に、ショックを隠しきれない今の自分の心境を吐露したのだが、両親には軽くあしらわれてしまった。
僕の父は今の僕達の歳に母と結婚し、翌年には僕が産まれている。だから、僕の両親は驚く僕を尻目に、Yの肩を全面的に持つのも分からないことじゃない。しかし、僕はそんな両親を尊敬しているし、Yを今でも友人だと思っているが、彼らの生き方には何も共感できない。むしろ、僕の価値観とは対極に位置していると思っている。まさに『彼岸の火事』を眺める感覚だ。
Yは責任を背負った。その責任は非常にリアルで重く、そして逃れられられないものだ。僕の両親はそんなYを立派だと思い、『まだ勉強を続けて、さらに先を目指したい!夢を追いたい!』と願う僕を『甲斐性がない』と思っているのだろう。確かに僕は自分がモラトリアム状態であるを否定できないし、単に責任逃れしているだけなのかもしれない。
もちろん正直いまいち実感が湧かないとは言え、僕は結婚したくないわけじゃないし、責任を背負うこと対して不安に抱いてはいるが、全てを放り投げたいとは決して思っていない。結局は『こんなに早く自分の人生に決定打を刻み込んで良いのか?』という事なのだろう。僕の掴みようがないこの気持ちは。
Yとは小・中学校とクラスメートで、グループとしてだけでなく、近所と言う事もあって2人でもよく遊んだ。『時が経つのってホント早いよね…』。僕は周囲のみんながこんな台詞を吐くのを聞くたびに思わず身震いしてしまい、内心では必死に否定しているのだが、さすがに今度ばかりはYと過ごしたつい数年前を思い出すだけで、どうしようもないくらいに時の流を痛感してしまう。当たり前だが、全てが子供染みている記憶だ。しかし、その頃の僕達は間違いなく、物凄いスピードで色褪せて行っている。
Yは商業高校に進学し、僕や他に親しくしていた仲間はほとんど普通科の進学校に進学した。しかし、高校時代はまだ中学時代までの延長線上の付き合いがあった。互いの高校の話をしたり、好きな音楽や芸能人の話をしたり、会う機会こそ減ったものの、表面上の親密度には何ら変わりがないように思えた。
それが急変したのは高校卒業時だった。彼は地元に就職し、僕達は東京の大学に進学した。彼の元からは一気に親しい友人が減った。彼の周りを見渡しても、何の気なしにつるめる仲間はいなくなってしまった。しかも、学生生活とは各段に厳しい社会に飛び込んだばかりだ。急激な環境の変化が彼を襲ったのだろう。
しかし、多少は戸惑いながらも、受験の鬱憤を晴らすように東京の大学で悠悠自適の生活を始めた僕達は、そんなYを気遣う配慮を忘れてしまった。田舎の倦怠感を早く捨て去りたいと思い、都会の刺激を積極的に求めていた。だから、僕達が長期休暇で帰省し、Yと久々の再開を果しても、そこにあるのはすれ違いばかりだった。少しの成長も見られず、田舎の狭い価値観に縛られたままのYを僕達は次第に煩わしく思うようになっていった。東京に出たことで、自分が急成長した気になっていて、時間の流れが止まったままのYを、正直どこか軽蔑していたのかもしれない。今思うと、本当に自惚れも甚だしい。僕はどうしてYの置かれた状況に対してもう少し寛容になれなかったのだろう…。
そして僕とYは疎遠になっていった。いつしか僕は、Yを東京の友人との話のネタにして笑いを取るくらいになっていた。そんなYからの2年振りに電話が結婚の報告だった。今やYは自分・奥さん・子供と言う3人もの生活を支えていかなければならない。そのためにはとてもじゃないけど、自分のために時間を費やす余裕はないだろう。挙式が行えない代わりに、簡単な会を催すことを僕達が提案しても、Yはそんな暇はないときっぱり断ってしまった。Yはどこか僕達を避けているようだった。
Yは落ち着いた。そして明らかに枯れてしまった。これを成長と捉えて良いのか僕には分からないけど、Yは今の自分の姿を僕達には晒したくないのだろう。Yが東京での生活を続ける僕達を羨望の眼差しで眺め、惨めな思いをしているかどうかは分からない。だけど、僕はYにとってはこれで良かったと信じたい。Yは誰もが登るであろう階段を、僕達より一足早く登っただけけなのだから。
僕はYが今どんな音楽を聴いているのか、また好きな芸能人は誰かはおろか、実は現在の就職先も奥さんの事も知らない。もはやYと僕はかつてのような友達じゃないのかもしれない。だけど、心からこう言いたいと思う。『結婚おめでとう。そして幸せに。』
Thanks For The Inspirations Of…
PETER GABRIEL/「So」
小島麻由美/「二十歳の恋」
THE STROKES/「Is This It」
STEELY DAN「Aja(エイジャ)」
フィッシュマンズ/「8月の現状」
BUFFALO SPRINGSFIELD/「Again」
CORNELIUS/”Holidays In The Sun e.p”
MANIC STREET PREACHERS/「Know Your Enemy」
CORNERSHOP/「When I Was Born For The 7th Time」
山崎まさよし/「ドミノ」”One More Time,One More Chance””Plastic Soul”
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