MICHEAL JACKSON/「Invincible」が発表された。「History」から数えても6年、「Dangerous」から数えたら何と9年振りのアルバムだ。しかし、そんなブランクよりも重要なのは、本作の制作費が36億円ということだ。つまり、僕達はこのアルバムを通じて36億円の音が聴けるということになる。今の緊迫した世界情勢を考えると、何とスケールの大きな話だろう。

 何と言っても「アルバム1枚のために36億円も費やされた」という事実に驚愕してしまう。「そんなに金を持っているなら、僕にも少しくらい分けてくれたらイイのになぁ…」と思わず口に出してしまうくらいだ。考えてみると、マイケルはすでに孫子の代まで遊んで暮らせるような大金を手にしており、死ぬまで豪遊しても使い果すのはまずムリなことだろう。例え死後の世界があるにしても、そこには現世の金を持って行けない。

 「このままダラダラと金を使っていても虚しいだけなんで、とりあえずアルバムでも作ろうか」くらいの動機で、今の彼は音楽活動を続けているのかもしれない。「金がない!女もいない!とにかく悶々としているぜ!」と歌ってもしょうがないんで、辿り着いた先は環境保護とヒューマニズムへの願いだ。個人の内面に鬱積する問題を直視するにのは彼は浮世離れし過ぎているため、問題の規模を世界や地球レベルまで広げるしかないのだろう。

 しかし、僕達にとってはそんな崇高な願いを語られても次元が違い過ぎるだけの話で、彼のメッセージは確固たる肉体性を持たず、僕達の内心にダイレクトに訴えかけてくることは、悲しきかなほとんどない。僕達は変態の戯言に構っていられるほどのんびりとはしていられず、日々の雑事に追われるだけで精一杯なだけなのだから。

 結局は音だけなのだ。このアルバムで鳴っている音。「無敵」と銘打たれた36億円の音を聴くことができるという1点に、このアルバムの持つ意味は尽きるだろう。まあ、もともと「音楽なんて音だけを純粋に楽しめれば良い」とも言えなくはないので、その点で本作は立派に大儀名文を果しているのだろう。そして、このアルバムの音には付け入る隙が全くない。エンターテイメントとしては、世界最高峰に位置するという事実は決して否定できない。

 そもそも僕はこれまで音楽を聴く時に、「その音にいくら注ぎ込まれているか」なんて考えたことがあるだろうか。確かにMY BLOODY VALENTINE/「Loveless」を聴く時は「あーこの音を作るために(=4500万円)レコード会社が倒産しそうになったんだな」と考えることはあったとしても、OASIS/「Definitely Maybe」を聴く時に「このアルバムには標準的な費用(=1500万円)しかかかっていないのか」と考えたことはない。そんなことでオアシスのアルバムの価値が下がりはしないだろう。やはり、その作品にはその作品に相応しいだけの制作費がかかっていると言うわけじゃない。名盤は金の力「だけ」(金銭的な要素は非常に重要だろうけど)では作れないと思えるのだ。

 マイケルは幼少の頃から歌い続けることによって現在の地位へと登りつめた。これは本当に素晴らしいことだと思うし、マイケルの若さに溢れた歌声やダンスには僕も度肝を抜かれた。しかし、マイケルはそれで幸せだったのだろうか。階段を1歩1歩駆け上がっている状況が手に取るように分かった当時はきっと幸せだったろうが、今の彼は幸せなのだろうか。満足しているのだろうか。僕ならとっくに表舞台からは引退しているだろうが、そこまでして芸能界に残って、自分の存在を誇示し続けたいものなのか。永遠の絶頂は決してないのに。

 日本の芸能界も最近めっきりと低年齢化が進んでいるが、僕はそういった「ジャリタレ」を見ていると、得も言えないくらい哀しくなってしまう。僕は彼らを見ていて「ちやほやされやがって」と羨ましがったことはないし、別に彼らの瑞々しい若さに嫉妬にしていると言うわけでもない。ただ「せっかくの青春時代を芸能界という特殊な世界に収まったままで終わっても良いのだろうか」と思ってしまうだけだ。

 個人にはそれぞれに自分だけの価値観があり、それも年齢によって大きく変化している。子供の芸能界入りを反対する親もいれば、子供を積極的に芸能界に潜りこませたいと願う親もいる。それは別にどうでもイイ。しかし、今活躍している若き芸能人が、ある程度歳を重ねた時に若い頃を振り返ってみて心から納得出来るのだろうか。学校にもろくに通えず、芸能界という狭い枠に囚われていることに不安はないのだろうか。今は人気もあってもてはやされているにしても、将来まで現状が続くと見込んでいるのだろうか。「あの頃は華やかだったな」と思い出に浸って余生を過ごすのは、僕にはまっぴらなことだ。

 最近、僕はテレビを見ても余り面白いと思えなくなってしまった。昔のテレビが良かっただけなのか、それとも今のテレビがつまらなくなったのか、正直よく分からない。内心では必死に否定しても、もしかしてブラウン管に写る芸能人が自分よりも年下が多くなってしまったからなのだろうか。僕に分別がついて歳もとり、テレビの世界に対する感受性が鈍って来てしまったのかもしれない。むしろ、いつまでもガキと同じ番組を見て楽しんでいるようじゃいけない気がする。

 それは、僕が落ち着いたわけでも、また枯れたわけでもなく、今まで見えなかったものが見えるようになっただけだと思いたい。成長して視野が広がったと信じていたい。角を切り落として、丸くなることなんてはいつでもできる。要はいつまで尖っていられるかということだ。まだ妥協してブレーキを踏むわけには行かない。僕は身を粉にしてもトップスピードで走り続けて行きたいと切に思うのだ。

Thanks For The Inspirations Of…

ERYKAH BADU/「Live」
MOGWAI/「Young Team」
OASIS/「Definitely Maybe」
MICHEAL JACKSON/「Invincible」
MY BLOODY VALENTINE/「Loveless」
OTIS REDDING/「The Dock Of The Bay」
THE JESUS AND MARY CHAIN/「The Sound Of Speed」
ティン・パン・アレー/「キャラメルママ」
スーパーカー/「スリーアウトチェンジ」
サニーデイサービス/「東京」

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