ニュー・ロック(New Rock)
2001年11月1日 マイケル・ジョーダンが現役復帰した。前回に引き続いて「MJ」関連の話題になってしまったが、僕にとっての「MJ」と言えば、やはりマイケル・ジャクソンではなく、マイケル・ジョーダンが思い浮かんでしまうというわけだ。
今回のジョーダンの現役復帰には賛否両論あるだろうけど、僕の個人的意見を言わせてもらうと、迷うことなく「否」だ。それも、中途半端な「否」なんかじゃなく、完全否定させてもらう。復帰第1戦で19点を挙げる活躍をしたけど(もちろん、しっかりプレーを観た上で言わせてもらうと)、思わず目を背けたくなってしまうシーンが何度もあった。僕にしてみれば、それは野村監督のヤクルト退陣⇒阪神監督就任以上に残念なことだ。
思うに、僕達(20代初頭〜中盤の世代)は、バスケットボールとの関わり方について非常に幸福な時代を過ごせたものだ。エアー・ジョーダンシリーズで言うなればジョーダン・?〜??に当たり、ジョーダンに加えスコッティ・ピッペンとデニス・ロッドマンを要するシカゴ・ブルズの黄金期と共に、自分達もバスケをプレーできたのだから(当然、「スラムダンク」も僕達のバスケ・ライフを支えた重大な要素だけど)。
もう1人の「MJ」、マジック・ジョンソンとジョーダンの奇跡的な共演が繰り広げられた伝説のバルセロナ・オリンピック決勝戦(USAドリームチームvsクロアチア)を観るために、テレビ釘付けになったのが僕の中学生時代だし、父親の生前の希望を受け継いでメジャーリーグへと果敢にチャレンジしたのを経て、再度バスケ界の頂点に登りつめた一部始終に胸を躍らせたのが高校時代だった。そして、頂点にいながらも衰えを見せる前に自ら潔く引退していったことを含めて、ジョーダンの全てがカッコ良かった。
そこには今の時代じゃ下手すりゃ陳腐というか、ベタベタのストーリーになりかねないような、危うさと背中合わせの完璧でリアルなアメリカのドラマがあった。
そんな余計な理屈を全て引っぺがして、1人のバスケット・プレイヤーとしてみても、ジョーダンが「神」と評させることに僕は何の異論もない。むしろ、普通だと例えどんなに優秀な選手でも『オイオイ、「神」って呼ばれるのはちょっとどうかと思うぞ…』と、いくらか引いてしまう面があるけど、ジョーダンに関しては少しもそれが表面化して来ない。マイケル・ジャクソンが「King Of Pop」と叫ばれる時に伴う、嘲笑や苦笑いなんかもない。
これは別に僕が「ジョーダン信者」とか次元の低い話じゃなく、バスケットボールに少しでも首を突っ込んだ人だったら、余計な説明しなくても分かってもらえるだろう。むしろ、僕は周囲のバスケ関係者(ジョーダン・ファン)と比べると、圧倒的にジョーダンについての知識は乏しいと思う。思い入れにしても、人並みに過ぎないだろう。
「今になってなぜ現役復帰したのか?」という疑問は、ジョーダンがいくら最もな理由をつけて釈明したとしても、僕には到底納得できないだろう。金のため?名誉のため?それとも「今の子供達に夢を与えるため」と開き直ってしまうのだろうか?そんなの一方的な押しつけであって、偽善者と何ら変わらない。今のジョーダンのプレーが子供達に輝いて見えるはずがない。
時代のズレは避けられないことであり、それに直面したら諦めるしかない。時代に間に合わなかったら、こればかりはどうしようもないのだ。僕達が「現役時代の王・長嶋のプレーをぜひこの眼で観たい」とダダをこねるのと、たいして変わらないことだと思う。過ぎ去った者を後になって追いたければ、記録に頼るしかないのだ。そのため文章・音声・映像に記録されるのであって、再び現役の舞台に引っ張り上げるのはタブーなのではないか。
僕には何だかこのジョーダンの現役復帰騒動を『昔(=ジョーダン絶頂期)に盛り上がり損ねた(月並みな表現をあえて使うとすると、時代の波に乗り遅れた)人達が、悔しいから(リベンジとして)今になって騒ぎ立てている』ように思えてならない。
話は飛んでしまうが、僕は今年発表されたRADIOHEAD/「Amnesiac」についても、これと似たような印象を受けた。「Amnesiac」単体で見ると、明らかに酷く散漫なアルバムでしかない。「Amnesiac」の真価は、昨年の「Kid A」を通過してみないと理解できないものであって、今年の「Amnesiac」だけを聴いて「傑作」とはやし立てるのは、間違いなく筋違いなことだと思う。確かに「Kid A」はそれ1枚で独立した世界観を持ったアルバムであった(だからこそ、先にリリースされた)と思えるが、「Amnesiac」は1枚を通してひたすら混沌が続いているだけのアルバムだからだ。僕も「Kid A」と「Amnesiac」を2枚続けて聴いてみて、一気に視界が開けたような感覚を味わった。『「Kid A」&「Amnesiac」』と括るならば、僕は胸を張って傑作だと言える。
話は戻るが、「昔は凄かったらしいから、とりあえず(ジョーダンのプレーを)観ておくか」というのが、最も中途半端で、そしてジョーダンにとって致命的な評価だと思う。ジョーダンのプレーがかつて「神」とまで評されたばっかりに、「やっぱり最高!!」か「あんなの最低だ!」のどちらか極端な結論を要求してくるのだ。「まあ、イイんじゃない」みたいな中間点は存在しない。あくまで「勝利」(=「白」)か「敗北」(=「黒」)だけであって、「参加」(=「灰色」)には意義なんてない。
厳しい批判を通り越して、「いったい何をムキになってんだよ。青臭いこと言いやがって。ホント大人気ねーなぁ」と自分でも思うけど、今の僕には看過できない事態んだから仕方がない。
とにかく、かつて決して手の届かない場所いた「神」が、今は僕達と同じ「俗物」と成り下がってしまった気がしてならない…。でも、まあ、あれこれゴチャゴチャと文句を言いながらも、結局テレビで放送する試合は一応チェックしてしまいそうだけどさ。
Thanks For The Inspirations Of…
羅針盤/「らご」
JELLYFISH/「Bellybutton」
DAFT PUNK/”One More Time”
BAFFALO DAUGHTER/「New Rock」
PUBLIC ENEMY/「It Takes A Nation Of Millions To Hold Us Back(パブリック・エナミー?)」
SPIRITUALIZED/“Stop Your Cryin’”(⇒「泣くのはやめて」と歌われても、こんな音を聞かされたら泣しかないよ)
今回のジョーダンの現役復帰には賛否両論あるだろうけど、僕の個人的意見を言わせてもらうと、迷うことなく「否」だ。それも、中途半端な「否」なんかじゃなく、完全否定させてもらう。復帰第1戦で19点を挙げる活躍をしたけど(もちろん、しっかりプレーを観た上で言わせてもらうと)、思わず目を背けたくなってしまうシーンが何度もあった。僕にしてみれば、それは野村監督のヤクルト退陣⇒阪神監督就任以上に残念なことだ。
思うに、僕達(20代初頭〜中盤の世代)は、バスケットボールとの関わり方について非常に幸福な時代を過ごせたものだ。エアー・ジョーダンシリーズで言うなればジョーダン・?〜??に当たり、ジョーダンに加えスコッティ・ピッペンとデニス・ロッドマンを要するシカゴ・ブルズの黄金期と共に、自分達もバスケをプレーできたのだから(当然、「スラムダンク」も僕達のバスケ・ライフを支えた重大な要素だけど)。
もう1人の「MJ」、マジック・ジョンソンとジョーダンの奇跡的な共演が繰り広げられた伝説のバルセロナ・オリンピック決勝戦(USAドリームチームvsクロアチア)を観るために、テレビ釘付けになったのが僕の中学生時代だし、父親の生前の希望を受け継いでメジャーリーグへと果敢にチャレンジしたのを経て、再度バスケ界の頂点に登りつめた一部始終に胸を躍らせたのが高校時代だった。そして、頂点にいながらも衰えを見せる前に自ら潔く引退していったことを含めて、ジョーダンの全てがカッコ良かった。
そこには今の時代じゃ下手すりゃ陳腐というか、ベタベタのストーリーになりかねないような、危うさと背中合わせの完璧でリアルなアメリカのドラマがあった。
そんな余計な理屈を全て引っぺがして、1人のバスケット・プレイヤーとしてみても、ジョーダンが「神」と評させることに僕は何の異論もない。むしろ、普通だと例えどんなに優秀な選手でも『オイオイ、「神」って呼ばれるのはちょっとどうかと思うぞ…』と、いくらか引いてしまう面があるけど、ジョーダンに関しては少しもそれが表面化して来ない。マイケル・ジャクソンが「King Of Pop」と叫ばれる時に伴う、嘲笑や苦笑いなんかもない。
これは別に僕が「ジョーダン信者」とか次元の低い話じゃなく、バスケットボールに少しでも首を突っ込んだ人だったら、余計な説明しなくても分かってもらえるだろう。むしろ、僕は周囲のバスケ関係者(ジョーダン・ファン)と比べると、圧倒的にジョーダンについての知識は乏しいと思う。思い入れにしても、人並みに過ぎないだろう。
「今になってなぜ現役復帰したのか?」という疑問は、ジョーダンがいくら最もな理由をつけて釈明したとしても、僕には到底納得できないだろう。金のため?名誉のため?それとも「今の子供達に夢を与えるため」と開き直ってしまうのだろうか?そんなの一方的な押しつけであって、偽善者と何ら変わらない。今のジョーダンのプレーが子供達に輝いて見えるはずがない。
時代のズレは避けられないことであり、それに直面したら諦めるしかない。時代に間に合わなかったら、こればかりはどうしようもないのだ。僕達が「現役時代の王・長嶋のプレーをぜひこの眼で観たい」とダダをこねるのと、たいして変わらないことだと思う。過ぎ去った者を後になって追いたければ、記録に頼るしかないのだ。そのため文章・音声・映像に記録されるのであって、再び現役の舞台に引っ張り上げるのはタブーなのではないか。
僕には何だかこのジョーダンの現役復帰騒動を『昔(=ジョーダン絶頂期)に盛り上がり損ねた(月並みな表現をあえて使うとすると、時代の波に乗り遅れた)人達が、悔しいから(リベンジとして)今になって騒ぎ立てている』ように思えてならない。
話は飛んでしまうが、僕は今年発表されたRADIOHEAD/「Amnesiac」についても、これと似たような印象を受けた。「Amnesiac」単体で見ると、明らかに酷く散漫なアルバムでしかない。「Amnesiac」の真価は、昨年の「Kid A」を通過してみないと理解できないものであって、今年の「Amnesiac」だけを聴いて「傑作」とはやし立てるのは、間違いなく筋違いなことだと思う。確かに「Kid A」はそれ1枚で独立した世界観を持ったアルバムであった(だからこそ、先にリリースされた)と思えるが、「Amnesiac」は1枚を通してひたすら混沌が続いているだけのアルバムだからだ。僕も「Kid A」と「Amnesiac」を2枚続けて聴いてみて、一気に視界が開けたような感覚を味わった。『「Kid A」&「Amnesiac」』と括るならば、僕は胸を張って傑作だと言える。
話は戻るが、「昔は凄かったらしいから、とりあえず(ジョーダンのプレーを)観ておくか」というのが、最も中途半端で、そしてジョーダンにとって致命的な評価だと思う。ジョーダンのプレーがかつて「神」とまで評されたばっかりに、「やっぱり最高!!」か「あんなの最低だ!」のどちらか極端な結論を要求してくるのだ。「まあ、イイんじゃない」みたいな中間点は存在しない。あくまで「勝利」(=「白」)か「敗北」(=「黒」)だけであって、「参加」(=「灰色」)には意義なんてない。
厳しい批判を通り越して、「いったい何をムキになってんだよ。青臭いこと言いやがって。ホント大人気ねーなぁ」と自分でも思うけど、今の僕には看過できない事態んだから仕方がない。
とにかく、かつて決して手の届かない場所いた「神」が、今は僕達と同じ「俗物」と成り下がってしまった気がしてならない…。でも、まあ、あれこれゴチャゴチャと文句を言いながらも、結局テレビで放送する試合は一応チェックしてしまいそうだけどさ。
Thanks For The Inspirations Of…
羅針盤/「らご」
JELLYFISH/「Bellybutton」
DAFT PUNK/”One More Time”
BAFFALO DAUGHTER/「New Rock」
PUBLIC ENEMY/「It Takes A Nation Of Millions To Hold Us Back(パブリック・エナミー?)」
SPIRITUALIZED/“Stop Your Cryin’”(⇒「泣くのはやめて」と歌われても、こんな音を聞かされたら泣しかないよ)
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