別れは全て突然に(All Farewells Should Be Sudden)
2001年11月6日 それでは、昨日の続きから。
そうしたこともあって、僕はプロを目指すのではなく、単純に趣味のレベルと割り切って音楽を接することにしたのであって、この日記も基本的には僕が音楽について語りたいことを書き連ねていくことにしたのだ。
インターネットのウェブ上に存在する以上、ある程度は世界に対して開かれたものであって、発信者として自分の意見を容易に発表することができるし、また情報の受信者から何らかの返答があると非常に嬉しいものだ。受信者の意見を発信者の新たな意見に反映させるフィードバック作用も発生しやすい。
この過程を通じて、僕という存在がヴァーチャルなレベルであっても、他の誰かや世界と繋がっていると実感できるからこそ、僕はこの日記を書き続けて来たし、インターネットのホームページも増加しているのだろう。
しかし、それとは反対に、この日記を見られたくないという欲求が自分の中にあるのも確かだ。非常に矛盾しているのは十分承知している上でその理由を挙げると、このヴァーチャルな世界の上でだけ成立している要素が、リアリティーの世界に侵食していくことに物凄い違和感を覚えてしまうからだと思う。
この日記はネット上だけで成立している、いわば箱庭の中の世界だ。それが、箱庭の世界の枠を越えて、現実世界にまで影響を及ぼすことに対して、僕は無防備な状態を晒す気にはなれない。つまり、普段面と向かって話しをするような友人であっても、ネット上で対面する場合には、現実世界とのそれとは全く意味が変わってきてしまうということだ。
もう少し整理すると、特定の友人は現実世界の僕を知っている。僕は現実世界とは別個の匿名希望者の視点から、ウェブ上のこの日記を書き、それは不特定多数の人々の目に触れることになる。しかし、その不特定多数の人の中に現実世界の特定の友人が含まれていると、そのバランスが崩れてしまうように思えるのだ。それが、違和感の正体だと思う。
おそらく僕にとって「へぇー、ノースカントリーボーイねぇ。どこの誰だか知らないけど、世の中にはこんな意見を持った人がいるもんだなぁ」というのが望むことであって、「なるほど、実は○○(僕の本名)は口には出さないけど、こんなことを考えているのか」というのが避けたいことなのだろう。まあ、こんなのは勝手な言い分だろうけど…。
しかし、これ以上に深刻なのは、この日記が僕の生活に直接的に与える影響だ。僕はどうやら長文癖があるらしく、簡潔にまとる気になれば当然まとめられるのだが、一度書き始めると、次から次へと書きたいことが重なって行ってしまい、つい文章が長くなってしまうものだ。
もともと、自分の内心に鬱積したものを吐き出すことがこの日記の役割だと僕は解釈しているから、内容を加減したら意味を失ってしまうし、だからと言って、あまりに僕のプライベートな面にまで踏み込み過ぎると、上記のように現実世界の友人に、必要以上に自分の手の内を明かしてしまうことになってしまうわけであって…。
この葛藤はおそらく解消できないことだろうし、実際のところ、僕はこの日記を盾にしながら、多くの問題に背を向けてきた。日記に長時間を割くことによって、自分自身に差し迫った障害を取り除く努力を後回しにしていた。今の僕は進路関係で精神的に行き詰っていて、迷走と逡巡を繰り返し、自信がない状態が続いている。もうこれ以上、自問自答と自己嫌悪に塗れて、結論を引き伸ばすわけにはいかないはずだ。
しばらくの間、日記の更新を休止しようと思います。今流行りの「活動休止」です。「活動休止」と言っておきながらも、実際は「解散」や「引退」とほとんど同じ場合が多いですが、僕の場合は「活動再開」を見越した「活動休止」です。現時点では、この日記を「閉鎖」する気はありませんし、それは「活動休止」期間をそう長くはしないつもりだからです。
まあ、別に更新しないだけなら、何もこんな文章を書かずに放置しておいても構わないでしょうが、後味を悪くはしたくなかったのであえて長々と書きました。この日記を読んでくれたみなさん、本当にどうもありがとう。
Thanks For The Inspirations Of…
R.E.M/「Automatic For The People」
RICHARD ASHCROFT/「Alone With Everybody」
そうしたこともあって、僕はプロを目指すのではなく、単純に趣味のレベルと割り切って音楽を接することにしたのであって、この日記も基本的には僕が音楽について語りたいことを書き連ねていくことにしたのだ。
インターネットのウェブ上に存在する以上、ある程度は世界に対して開かれたものであって、発信者として自分の意見を容易に発表することができるし、また情報の受信者から何らかの返答があると非常に嬉しいものだ。受信者の意見を発信者の新たな意見に反映させるフィードバック作用も発生しやすい。
この過程を通じて、僕という存在がヴァーチャルなレベルであっても、他の誰かや世界と繋がっていると実感できるからこそ、僕はこの日記を書き続けて来たし、インターネットのホームページも増加しているのだろう。
しかし、それとは反対に、この日記を見られたくないという欲求が自分の中にあるのも確かだ。非常に矛盾しているのは十分承知している上でその理由を挙げると、このヴァーチャルな世界の上でだけ成立している要素が、リアリティーの世界に侵食していくことに物凄い違和感を覚えてしまうからだと思う。
この日記はネット上だけで成立している、いわば箱庭の中の世界だ。それが、箱庭の世界の枠を越えて、現実世界にまで影響を及ぼすことに対して、僕は無防備な状態を晒す気にはなれない。つまり、普段面と向かって話しをするような友人であっても、ネット上で対面する場合には、現実世界とのそれとは全く意味が変わってきてしまうということだ。
もう少し整理すると、特定の友人は現実世界の僕を知っている。僕は現実世界とは別個の匿名希望者の視点から、ウェブ上のこの日記を書き、それは不特定多数の人々の目に触れることになる。しかし、その不特定多数の人の中に現実世界の特定の友人が含まれていると、そのバランスが崩れてしまうように思えるのだ。それが、違和感の正体だと思う。
おそらく僕にとって「へぇー、ノースカントリーボーイねぇ。どこの誰だか知らないけど、世の中にはこんな意見を持った人がいるもんだなぁ」というのが望むことであって、「なるほど、実は○○(僕の本名)は口には出さないけど、こんなことを考えているのか」というのが避けたいことなのだろう。まあ、こんなのは勝手な言い分だろうけど…。
しかし、これ以上に深刻なのは、この日記が僕の生活に直接的に与える影響だ。僕はどうやら長文癖があるらしく、簡潔にまとる気になれば当然まとめられるのだが、一度書き始めると、次から次へと書きたいことが重なって行ってしまい、つい文章が長くなってしまうものだ。
もともと、自分の内心に鬱積したものを吐き出すことがこの日記の役割だと僕は解釈しているから、内容を加減したら意味を失ってしまうし、だからと言って、あまりに僕のプライベートな面にまで踏み込み過ぎると、上記のように現実世界の友人に、必要以上に自分の手の内を明かしてしまうことになってしまうわけであって…。
この葛藤はおそらく解消できないことだろうし、実際のところ、僕はこの日記を盾にしながら、多くの問題に背を向けてきた。日記に長時間を割くことによって、自分自身に差し迫った障害を取り除く努力を後回しにしていた。今の僕は進路関係で精神的に行き詰っていて、迷走と逡巡を繰り返し、自信がない状態が続いている。もうこれ以上、自問自答と自己嫌悪に塗れて、結論を引き伸ばすわけにはいかないはずだ。
しばらくの間、日記の更新を休止しようと思います。今流行りの「活動休止」です。「活動休止」と言っておきながらも、実際は「解散」や「引退」とほとんど同じ場合が多いですが、僕の場合は「活動再開」を見越した「活動休止」です。現時点では、この日記を「閉鎖」する気はありませんし、それは「活動休止」期間をそう長くはしないつもりだからです。
まあ、別に更新しないだけなら、何もこんな文章を書かずに放置しておいても構わないでしょうが、後味を悪くはしたくなかったのであえて長々と書きました。この日記を読んでくれたみなさん、本当にどうもありがとう。
Thanks For The Inspirations Of…
R.E.M/「Automatic For The People」
RICHARD ASHCROFT/「Alone With Everybody」
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