『9月11日の惨劇』。
NY連続テロ事件を巡る様々な事態が最終局面を迎え、また既にあらゆる方面において語られ尽くされた感もあるが、一連の騒動が鎮静化しつつある今だからこそ、「見えてくるもの」・「語るべきこと」があると思う。
僕は今月に入ってからと言うもの、しきりに「今だからこそニューヨークに行きたい」と思ってきたが、それは(ただ単に値段が安いというセコイ理由からじゃなく)今のNYの雰囲気を肌で感じたいと願うようになったからだ。
しかし、このことを周囲に漏らしたところ、「確かにアメリカ国民の一体感ってものは物凄いものだとは思ったけど、戦争被害者・テロ被害者は世界各地にいると思うのに、特にNYをとりあげて雰囲気を感じたいとは、またどうして?」と鋭く切り返されてしまった。全くもっともな意見だと僕も思う。だから、今回は僕なりの回答を述べてみたい。
今回のテロについて僕が考えさせられたことは大きく2つあり、その1つは『信じ抜くことは、恐ろしくもある』ということだ。
ある種の宗教にしろ国家にしても、1つの絶対的に近いような物事を信じ切ることは、大きな連帯感をもたらし、強固な力を形成するが、それは同時に非常に制御しづらいものではないだろうか。
1つの信念に寄りかかる体制は、他を排斥しないと成立しないわけで、それを内部で抑止する術は当然に持ち得ない。例外を許容するということは、他者との比較、つまり相対を認めることに繋がり、それは1つの絶対を揺るがす危険性を孕むことになりかねない。だから、徹底的に弾圧する。反抗の芽は完全に摘み取られなければならない。
また、内部での抑制が効かず、一層の発展を目指して外界への膨張を図るようになると、多かれ少なかれ外部からの干渉を招く結果になってしまう。「このままだと自分達をも脅かされることになる」「頑固として認めるわけにはいかない」という思惑が交錯し、双方の火種が大きくなるという悪循環に陥ってしまうはずだろう。これが、武力制裁と報復における今日の議論だと思う。
もう1つは『アメリカは、自らが生み出したものに傷つけられ続けている』ということだ。
「アメリカンスタンダード=グローバリゼーション」という等式がほとんど成り立っていて、アメリカ的な価値観が今日の世界の大勢を占めているのは否定できない事実だろう。この等式が肯定されているのは、そこには常に利潤と弊害が並存しているのを各国が認識しているためであり、マーケット・テクノロジー・ショウビズ…これらの魅力に人々は引き寄せられる。
だが、人間が集まる場所から暴力が生まれてしまうのは、悲しきことかな避けられない定めにある。確かにテロで犠牲になったのはアメリカ人だけではないし、テロを起こしたのはタリバンではあるが、事の根底にあるのは人と力を握ったアメリカだと思えるのだ。膨大な人間の欲望とそれに相反する憎悪を呼び込んだのは、アメリカなのではないか。
__________
「強いアメリカ」を誇示するために、次々と新しいものを生み出せ!
他の国はどうなるのか?副作用が表れたらどうするのか?
そんなことはどうでも良い。
どうせ他の国も物珍しさに群がって来る。第一、副作用なんて起こってみないと分からないことだし、そんなの起こった時に解決すれば十分だ。
ヘイ、マン!この構造が間違っているかい?
そんなことだから君の国は弱いままなんだ。いつまで経ってもオレには勝てないぜ。
オー、何をそんなに悲しそうな顔をしているんだい?こんなことを続けて虚しくないのかって?自分で自分の傷口を広げているだけだって?
何を言っているんだい!
これがオレのやり方さ。今までも、そしてこれからも、これこそがアメリカって国のやり方なんだ…。
__________
そろそろアメリカは、この事実に気づいても良いのではないか。もしかして、気づいていながらも、そこから目を背けているだけなのではないか。こんな気がするから、僕は今のNYには他のテロ被害国にはない、一種独特の雰囲気があって然りだろうと思ったわけだ。最後にこんなことを言ってもまるで説得力はないだろうが、僕は別にアメリカが嫌いでも好きでもない。ただ、とても興味がある国というだけだ。
Thanks For The Inspirations Of…
THE ROLLING STONES/「Sticky Fingers」
MANIC STREET PREACHERS/「Know Your Enemy」
PRIMAL SCREAM/「Xtrmntr」「Give Out But Don’t Give Up」
NY連続テロ事件を巡る様々な事態が最終局面を迎え、また既にあらゆる方面において語られ尽くされた感もあるが、一連の騒動が鎮静化しつつある今だからこそ、「見えてくるもの」・「語るべきこと」があると思う。
僕は今月に入ってからと言うもの、しきりに「今だからこそニューヨークに行きたい」と思ってきたが、それは(ただ単に値段が安いというセコイ理由からじゃなく)今のNYの雰囲気を肌で感じたいと願うようになったからだ。
しかし、このことを周囲に漏らしたところ、「確かにアメリカ国民の一体感ってものは物凄いものだとは思ったけど、戦争被害者・テロ被害者は世界各地にいると思うのに、特にNYをとりあげて雰囲気を感じたいとは、またどうして?」と鋭く切り返されてしまった。全くもっともな意見だと僕も思う。だから、今回は僕なりの回答を述べてみたい。
今回のテロについて僕が考えさせられたことは大きく2つあり、その1つは『信じ抜くことは、恐ろしくもある』ということだ。
ある種の宗教にしろ国家にしても、1つの絶対的に近いような物事を信じ切ることは、大きな連帯感をもたらし、強固な力を形成するが、それは同時に非常に制御しづらいものではないだろうか。
1つの信念に寄りかかる体制は、他を排斥しないと成立しないわけで、それを内部で抑止する術は当然に持ち得ない。例外を許容するということは、他者との比較、つまり相対を認めることに繋がり、それは1つの絶対を揺るがす危険性を孕むことになりかねない。だから、徹底的に弾圧する。反抗の芽は完全に摘み取られなければならない。
また、内部での抑制が効かず、一層の発展を目指して外界への膨張を図るようになると、多かれ少なかれ外部からの干渉を招く結果になってしまう。「このままだと自分達をも脅かされることになる」「頑固として認めるわけにはいかない」という思惑が交錯し、双方の火種が大きくなるという悪循環に陥ってしまうはずだろう。これが、武力制裁と報復における今日の議論だと思う。
もう1つは『アメリカは、自らが生み出したものに傷つけられ続けている』ということだ。
「アメリカンスタンダード=グローバリゼーション」という等式がほとんど成り立っていて、アメリカ的な価値観が今日の世界の大勢を占めているのは否定できない事実だろう。この等式が肯定されているのは、そこには常に利潤と弊害が並存しているのを各国が認識しているためであり、マーケット・テクノロジー・ショウビズ…これらの魅力に人々は引き寄せられる。
だが、人間が集まる場所から暴力が生まれてしまうのは、悲しきことかな避けられない定めにある。確かにテロで犠牲になったのはアメリカ人だけではないし、テロを起こしたのはタリバンではあるが、事の根底にあるのは人と力を握ったアメリカだと思えるのだ。膨大な人間の欲望とそれに相反する憎悪を呼び込んだのは、アメリカなのではないか。
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「強いアメリカ」を誇示するために、次々と新しいものを生み出せ!
他の国はどうなるのか?副作用が表れたらどうするのか?
そんなことはどうでも良い。
どうせ他の国も物珍しさに群がって来る。第一、副作用なんて起こってみないと分からないことだし、そんなの起こった時に解決すれば十分だ。
ヘイ、マン!この構造が間違っているかい?
そんなことだから君の国は弱いままなんだ。いつまで経ってもオレには勝てないぜ。
オー、何をそんなに悲しそうな顔をしているんだい?こんなことを続けて虚しくないのかって?自分で自分の傷口を広げているだけだって?
何を言っているんだい!
これがオレのやり方さ。今までも、そしてこれからも、これこそがアメリカって国のやり方なんだ…。
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そろそろアメリカは、この事実に気づいても良いのではないか。もしかして、気づいていながらも、そこから目を背けているだけなのではないか。こんな気がするから、僕は今のNYには他のテロ被害国にはない、一種独特の雰囲気があって然りだろうと思ったわけだ。最後にこんなことを言ってもまるで説得力はないだろうが、僕は別にアメリカが嫌いでも好きでもない。ただ、とても興味がある国というだけだ。
Thanks For The Inspirations Of…
THE ROLLING STONES/「Sticky Fingers」
MANIC STREET PREACHERS/「Know Your Enemy」
PRIMAL SCREAM/「Xtrmntr」「Give Out But Don’t Give Up」
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