そうして僕は、そこに座って、神秘の雲に包まれた昔の世界について思いを馳せながら、ギャツビーが、デイジーの家の桟橋の突端に輝く緑色の灯を初めて見つけた時の彼の驚きを思い浮かべた。

 彼(=ギャツビー)は、長い旅路の果てにこの青々とした芝生に辿り着いたのだが、その彼の夢はあまりに身近に見えて、これを掴み損なうことなどありえないと思われたに違いない。

 しかし彼の夢は、実はすでに彼の背後になってしまったことを、彼は知らなかったのだ。ニューヨークのかなたに茫漠と広がるあの広大な謎の世界のどこか、共和国の原野が夜空の下に黒々と起伏しているあの辺りにこそ、彼の夢はあったのだ。

 ギャツビーは、その緑色の光を信じ、僕らの進む前を年々先へ先へと後退して行く狂躁的な未来を信じていた。あの時は僕らの手をすりぬけて逃げて行った。

 しかし、それは何でもない――明日は、もっと速く走り両腕をもっと先まで伸ばしてやろう……そして、いつの日にか――。

 こうして僕達は、絶えず過去へ過去へと運び去られながらも、流れに逆らう船のように、力の限り漕ぎ進んで行く。
__________

 以上、フィッツ・ジェラルト作の『華麗なるギャツビー』というアメリカ小説からの引用。文中のデイジーとは、主人公ギャツビーが長年憧れている女性のこと。

 なぜ突拍子もなく『ギャツビー』を引用をしてみたかと言うと、別に何のことはない、午前中友人二人を駅まで見送りに行った後、階段を降りていたら『そうだ!ギャツビーだ!』と急に思いついたからだったりする。我ながらどういう思考回路をしているのだろうと少し不安になった。

 前回の反響が予想以上に多くて今回はどうつなげて良いのか正直迷っていたけど、冒頭のアイディアが閃いた途端、僕は駅からまっすぐ図書館に向かったのだ(一応、すでに今回用の文章のストックはあったのだけど、何のためらいもなく破棄することにした)。
 
 思春期を(大抵は知らず知らずのうちに)通り過ぎてしまった後に、憧れや望みのような「永遠の輝き」を信じていたかつての心が急に色褪せてしまった事実を思い知る喪失感。そして、その輝きを失った残骸を踏み越えながらも人はどうにか(過去を振り切って)前向き生きていかなければならない。そんな人生のブルースが、今回引用した部分には完璧に表現されていると僕は思うからだ。

Thanks For The Inspirations Of…

キンモクセイ/”二人のアカボシ”(⇒曲が悪くはないだけに、「売り出し方」にはちょっと問題ありだと思う。「一発屋」との背中合わせ。)
松浦亜弥/”桃色片思い”(⇒あのCM&PVはさすがにやり過ぎでしょう…。思わず『オイオイ、何て14歳だ!?』と突っ込みたくなるし。)

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