神のみぞ知る(God Only Knows)
2002年4月25日 【神】?人知を超えて優れた能力を持ち、人に禍福を与えると考えられる存在。尊い者として宗教的信仰の対象となる。特にキリスト教・神道の神。?日本の神話時代に活躍した超人的な力の所有者。?神社に祭られた死者の霊。
いきなり観念的な書き始めになってしまいましたが、ここ何ヶ月か「神」を題材にした本(マンガ・小説・宗教書)などを読んでいることもあって、「神」に対して好奇心みたいなものが働いていまして。
「神」を題材に扱った作品のほとんどは、正直風呂敷を広げ過ぎたままで最後までしっかりたたみきれないでいたりしますが、その分読者の解釈に大きく委ねられていると考えて良いでしょう。
しかし、なぜ「神」がこんなにまで人を惹きつけるのか考えるのなら、人が「運命の奴隷」ではないかって疑問を抱えているからだと思っています。人の一生なんて予め「運命」によって決められているのではないか?それなら人の生きる意味は…ってことですね。
でも、どうして「神」と「運命」が結びつくのか。それは「神」こそが「運命」をコントロールしているはずって宗教的な前提にあるからでしょう。「困った時の神頼み」や「神の見えざる手」(これは経済用語ですが)を持ち出すまでもないですが。
単刀直入に僕の考えを書くと、いわゆる「神」は実在しないと思っています。ただ、宇宙の果てや生物の進化論を踏まえてみると、厳密な意味での「創造主」は実在するかもしれませんね。まあ、その場合だと「神」=「宇宙(人)」となるでしょうが。
とにかく、普段は雲の上で見守ってくれているけど、人が苦難に陥った時に杖からビーッ!と奇跡的な力で救ってくれるような「神」はいません(繰り返し私見になりますが)。この辺については、遠藤周作の「沈黙」が完璧に表現していると思いますね。
それにも関わらず、なぜ人は「神」の名の元に宗教を信じるのか。いないと分かりきった「神」を信じきれるのか…。なんだか小沢健二の「天使たちのシーン」みたいですね。「神様を信じる強さを僕に〜」って。
「信じる」という言葉を繰り返しましたが、これこそが「神」の核心なのではないでしょうか。「神」という言葉のイメージとして、象徴化されたヴィジョン―イエス像・十字架・神棚―を植えつけられているだけであって、実際の「神」の、そのあまりに不確かな存在をなんとか強固にしようとしているのです。
つまり、「神」を信じるその心を「神」と呼ぶだけで、どうしようもなく移ろいやすくて、また移ろいやすいからこそしっかり留めておきたいと願う、人の心を大切にしたい!って表れではないでしょうか。そして、信じる心こそが「神」のように尊いものだ、と。
年齢の割に随分と達観したようなことを書いてしまいましたが。「達観」=「悟ったこと」ならば、「悟り」=「神の視点」なのかもしれません。となると、達観することなんて絶対できないですよね。
__________
ところで「神の視点」と言えば、SUPERCAR/「Highvison」をずっと聴いています。「Highvison」を直訳すると、「高い(崇い)位置からの視野」になると思いますが、隠喩として「神の視点」という意味も含まれているでしょうね。
くるり/「The World Is Mine」にしてもSUPERCAR/「Highvison」にしても、かなり野心的なタイトルだなぁって感じですね。それだけ作品のクオリティーに絶対の自信があるのでしょうが。
そんなことは別にどうでも良かったりするのです、音楽が良ければ。どちらの作品にしても、とにかく「気持ちイイ音」を鳴らしているので、まあ、満足です。くるりはモロ手を挙げて絶賛できませんが、スーパーカーは最近の僕の音楽の好みにドンピシャリだったので。
テクノ・アンビエント・ギターロックがナチュラルなバランスでブレンドされているって言えるでしょう。とりあえず、「Futurama」までのギクシャクした感覚は一掃されていて、打ち込みを完全にモノにしたっていう確かな手応えが(初めての外部プロデューサー導入のおかげもあるでしょうが)。
とかなんとか小難しく書きましたが、この独特の浮遊感、彼らは間違いなくストーンド(:stoned)した状態で曲を作ってますね(おそらく、「Jump Up」の頃辺りからストーンドして曲作りしているだろうけど)。ストーンドして「神の視点」とか言われてもさぁ、なんかねぇ。いまいち説得力に欠けたりして。
※ストーンド(:stoned)については辞書で調べて下さい。スラングですが。
Thanks For The Inspirations Of…
SUPERCAR/「Highvison」
PORTISHEAD/「Portishead」
DJ SHADOW/「Endtroducing」
NUMBER GIRL/”Num-Ami-Dabutz”
いきなり観念的な書き始めになってしまいましたが、ここ何ヶ月か「神」を題材にした本(マンガ・小説・宗教書)などを読んでいることもあって、「神」に対して好奇心みたいなものが働いていまして。
「神」を題材に扱った作品のほとんどは、正直風呂敷を広げ過ぎたままで最後までしっかりたたみきれないでいたりしますが、その分読者の解釈に大きく委ねられていると考えて良いでしょう。
しかし、なぜ「神」がこんなにまで人を惹きつけるのか考えるのなら、人が「運命の奴隷」ではないかって疑問を抱えているからだと思っています。人の一生なんて予め「運命」によって決められているのではないか?それなら人の生きる意味は…ってことですね。
でも、どうして「神」と「運命」が結びつくのか。それは「神」こそが「運命」をコントロールしているはずって宗教的な前提にあるからでしょう。「困った時の神頼み」や「神の見えざる手」(これは経済用語ですが)を持ち出すまでもないですが。
単刀直入に僕の考えを書くと、いわゆる「神」は実在しないと思っています。ただ、宇宙の果てや生物の進化論を踏まえてみると、厳密な意味での「創造主」は実在するかもしれませんね。まあ、その場合だと「神」=「宇宙(人)」となるでしょうが。
とにかく、普段は雲の上で見守ってくれているけど、人が苦難に陥った時に杖からビーッ!と奇跡的な力で救ってくれるような「神」はいません(繰り返し私見になりますが)。この辺については、遠藤周作の「沈黙」が完璧に表現していると思いますね。
それにも関わらず、なぜ人は「神」の名の元に宗教を信じるのか。いないと分かりきった「神」を信じきれるのか…。なんだか小沢健二の「天使たちのシーン」みたいですね。「神様を信じる強さを僕に〜」って。
「信じる」という言葉を繰り返しましたが、これこそが「神」の核心なのではないでしょうか。「神」という言葉のイメージとして、象徴化されたヴィジョン―イエス像・十字架・神棚―を植えつけられているだけであって、実際の「神」の、そのあまりに不確かな存在をなんとか強固にしようとしているのです。
つまり、「神」を信じるその心を「神」と呼ぶだけで、どうしようもなく移ろいやすくて、また移ろいやすいからこそしっかり留めておきたいと願う、人の心を大切にしたい!って表れではないでしょうか。そして、信じる心こそが「神」のように尊いものだ、と。
年齢の割に随分と達観したようなことを書いてしまいましたが。「達観」=「悟ったこと」ならば、「悟り」=「神の視点」なのかもしれません。となると、達観することなんて絶対できないですよね。
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ところで「神の視点」と言えば、SUPERCAR/「Highvison」をずっと聴いています。「Highvison」を直訳すると、「高い(崇い)位置からの視野」になると思いますが、隠喩として「神の視点」という意味も含まれているでしょうね。
くるり/「The World Is Mine」にしてもSUPERCAR/「Highvison」にしても、かなり野心的なタイトルだなぁって感じですね。それだけ作品のクオリティーに絶対の自信があるのでしょうが。
そんなことは別にどうでも良かったりするのです、音楽が良ければ。どちらの作品にしても、とにかく「気持ちイイ音」を鳴らしているので、まあ、満足です。くるりはモロ手を挙げて絶賛できませんが、スーパーカーは最近の僕の音楽の好みにドンピシャリだったので。
テクノ・アンビエント・ギターロックがナチュラルなバランスでブレンドされているって言えるでしょう。とりあえず、「Futurama」までのギクシャクした感覚は一掃されていて、打ち込みを完全にモノにしたっていう確かな手応えが(初めての外部プロデューサー導入のおかげもあるでしょうが)。
とかなんとか小難しく書きましたが、この独特の浮遊感、彼らは間違いなくストーンド(:stoned)した状態で曲を作ってますね(おそらく、「Jump Up」の頃辺りからストーンドして曲作りしているだろうけど)。ストーンドして「神の視点」とか言われてもさぁ、なんかねぇ。いまいち説得力に欠けたりして。
※ストーンド(:stoned)については辞書で調べて下さい。スラングですが。
Thanks For The Inspirations Of…
SUPERCAR/「Highvison」
PORTISHEAD/「Portishead」
DJ SHADOW/「Endtroducing」
NUMBER GIRL/”Num-Ami-Dabutz”
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