サムシング・バーニング(Something Burning)
2002年5月7日 確かまだちゃんと書いたことがなかったはずですが、僕はTV番組の『ガチンコ』が大好きだったりします。というか、TBS・フジ・日本テレビの各局が抱える『ガチンコ』『あいのり』『電波少年』という3大バラエティー番組(「ヤラセ3大番組」とも俗に言われていますが)を楽しめない人は、モッタイナイ感性しているなぁと思いますね。
バラエティーには(TV番組全体に言えるかもしれませんが…)視聴者を楽しませるというエンターテイメントの要素が求められている以上、やはりある程度の「演出」によってその魅力を引き出さないといけないと思います。
その「演出」を「ヤラセ」と取るかどうかは個人の主観によるでしょうが、僕としては「ドキュメンタリー」や「報道」の冠を被せた番組でないならば、公序良俗に反しない限り(⇔コレ重要)オールオッケーな気がするんですよね。
視聴者も「演出」を踏まえて番組を見るべきだと思いますし、「ドラマ」の「フィクション」は容認されているのに、「バラエティー」の「演出」は「ヤラセ」であってはいけないものだとするのは、視野を狭くしてしまうだけなのではないでしょうか。
極端なことを言えば、クイズ番組で解答者にあらかじめ正解を教えておくのも、それで番組が面白ければオッケーです(全員不正解じゃ番組が成立しませんし)。それに比べれば、バラエティー番組に「脚本」があって出演者がそれに従って「台詞」を言うのも、別にドラマと何ら変わりがないってだけじゃないですか?
そもそも、TVの情報を100%信用している人っているのでしょうか?TVはあくまでもビジネスであり、TVから流されている情報がスポンサーやTV局側の利益に繋がるように恣意的にコントロールされるのは資本主義では仕方がないですし、視聴者側もその前提を受け入れるべきです。日本テレビが巨人万歳なのが一番分かり易い例しょう。
報道の内容が次第に過激にエスカレートしていくことを脅威に思う人もいるでしょうが、それならそんな番組を見なければ良いのですし(視聴率が引くければ番組の打ち切りは避けられませんし)、「バラエティー」は虚構を純粋に楽しむ番組、「ニュース」は一定の情報を仕入れる番組、と割りきれば済むことだと僕は思っています。
その点、「ガチンコ」は「エンターテイメント」として最高です。僕としては、完全にライフスタイルの一環に組みこまれている「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!」を除くと(「ガキ」を見ないと、どうも1週間が始まるって気がしないんですよね)、「ガチンコ」には毎回確実に爆笑させられます。
「今時こんなヤツいねーだろ!」ってな素人(と信じよう)の登場人物から、「今時地元でもこんな方言使わねーよ!」ってな過激な(そして時にクサイ)台詞と、「これがなきゃ、ガンチコじゃねー!」ってな一同とり乱れる(一説には仲裁しているスタッフが最強とも謳われている)乱闘騒ぎ。
「予想だにしない展開がぁ!」「とんでもない修羅場がぁ!」「ガチンコ史上最悪の事態がぁ!」ってな過剰に状況を煽る言いまわし。「毎回ガチンコ史上最悪の事態が更新されているじゃん」と冷ややかな目で見ることもできますが、この際だからガンガンガチンコ史上最悪の事態のインフレ化が進んで(それこそドラゴンボールや北斗の拳みたいに)、より過激な「地獄絵図」に期待したいです。
決め手はやはり、『その深遠な眼差しは「全てをぶち壊してやる!オレを捨てたこの腐った世の中を破滅させてやる!」と物語る、それはもはやただのならず者を通り越した野獣の目』とばかりに、登場人物の何気ない表情から全てを読み取り、小説家も真っ青になる克明な心理描写をぶちまける過剰なナレーションがトドメに。
最高じゃないですか?少なくとも、『ガチンコ』には番組を本気でエンターテイメントとして成立させようとする気迫があるんじゃないでしょうか。製作側の自己満足には終わらない、それこそ熱い何か(:something burning)が宿っている気がしますね。大袈裟ですけど。
でも、まあ、僕には『ガチンコ』ばかりでは笑いの食傷気味になってしまうので、その対極の番組である『タモリ倶楽部』や『ぷっすま』(両方ともテレビ朝日だな)で中和しているのですけど。でも、「ガチンコ晩餐会」、あれは最低です。あの領域に関しては、どうやったってロンドンブーツの番組には勝てないので(ガチンコでやる必要性が皆無なので)、即刻廃止してほしいですねぇ、ホント。
Thanks For The Inspirations Of…
TRICERATOPS/”2020”
ARAB STRAP/「Elephant Shoe」
ORANGE JUICE/「You Can’t Hide Your Love Forever」
バラエティーには(TV番組全体に言えるかもしれませんが…)視聴者を楽しませるというエンターテイメントの要素が求められている以上、やはりある程度の「演出」によってその魅力を引き出さないといけないと思います。
その「演出」を「ヤラセ」と取るかどうかは個人の主観によるでしょうが、僕としては「ドキュメンタリー」や「報道」の冠を被せた番組でないならば、公序良俗に反しない限り(⇔コレ重要)オールオッケーな気がするんですよね。
視聴者も「演出」を踏まえて番組を見るべきだと思いますし、「ドラマ」の「フィクション」は容認されているのに、「バラエティー」の「演出」は「ヤラセ」であってはいけないものだとするのは、視野を狭くしてしまうだけなのではないでしょうか。
極端なことを言えば、クイズ番組で解答者にあらかじめ正解を教えておくのも、それで番組が面白ければオッケーです(全員不正解じゃ番組が成立しませんし)。それに比べれば、バラエティー番組に「脚本」があって出演者がそれに従って「台詞」を言うのも、別にドラマと何ら変わりがないってだけじゃないですか?
そもそも、TVの情報を100%信用している人っているのでしょうか?TVはあくまでもビジネスであり、TVから流されている情報がスポンサーやTV局側の利益に繋がるように恣意的にコントロールされるのは資本主義では仕方がないですし、視聴者側もその前提を受け入れるべきです。日本テレビが巨人万歳なのが一番分かり易い例しょう。
報道の内容が次第に過激にエスカレートしていくことを脅威に思う人もいるでしょうが、それならそんな番組を見なければ良いのですし(視聴率が引くければ番組の打ち切りは避けられませんし)、「バラエティー」は虚構を純粋に楽しむ番組、「ニュース」は一定の情報を仕入れる番組、と割りきれば済むことだと僕は思っています。
その点、「ガチンコ」は「エンターテイメント」として最高です。僕としては、完全にライフスタイルの一環に組みこまれている「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!」を除くと(「ガキ」を見ないと、どうも1週間が始まるって気がしないんですよね)、「ガチンコ」には毎回確実に爆笑させられます。
「今時こんなヤツいねーだろ!」ってな素人(と信じよう)の登場人物から、「今時地元でもこんな方言使わねーよ!」ってな過激な(そして時にクサイ)台詞と、「これがなきゃ、ガンチコじゃねー!」ってな一同とり乱れる(一説には仲裁しているスタッフが最強とも謳われている)乱闘騒ぎ。
「予想だにしない展開がぁ!」「とんでもない修羅場がぁ!」「ガチンコ史上最悪の事態がぁ!」ってな過剰に状況を煽る言いまわし。「毎回ガチンコ史上最悪の事態が更新されているじゃん」と冷ややかな目で見ることもできますが、この際だからガンガンガチンコ史上最悪の事態のインフレ化が進んで(それこそドラゴンボールや北斗の拳みたいに)、より過激な「地獄絵図」に期待したいです。
決め手はやはり、『その深遠な眼差しは「全てをぶち壊してやる!オレを捨てたこの腐った世の中を破滅させてやる!」と物語る、それはもはやただのならず者を通り越した野獣の目』とばかりに、登場人物の何気ない表情から全てを読み取り、小説家も真っ青になる克明な心理描写をぶちまける過剰なナレーションがトドメに。
最高じゃないですか?少なくとも、『ガチンコ』には番組を本気でエンターテイメントとして成立させようとする気迫があるんじゃないでしょうか。製作側の自己満足には終わらない、それこそ熱い何か(:something burning)が宿っている気がしますね。大袈裟ですけど。
でも、まあ、僕には『ガチンコ』ばかりでは笑いの食傷気味になってしまうので、その対極の番組である『タモリ倶楽部』や『ぷっすま』(両方ともテレビ朝日だな)で中和しているのですけど。でも、「ガチンコ晩餐会」、あれは最低です。あの領域に関しては、どうやったってロンドンブーツの番組には勝てないので(ガチンコでやる必要性が皆無なので)、即刻廃止してほしいですねぇ、ホント。
Thanks For The Inspirations Of…
TRICERATOPS/”2020”
ARAB STRAP/「Elephant Shoe」
ORANGE JUICE/「You Can’t Hide Your Love Forever」
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