どこで間違えたのか…(Where Did It All Go Wrong?)
2001年8月30日 オアシスが好きだ。久し振りの更新だと言うのに、いきなり気が狂った様な書き出しになってしまったけど、事実なんだからしょうがない。フジロックのビデオを見て、素直にそう思えた。
ブリットポップを駆け抜けた僕達の世代にとっては、オアシスは「好きだ」とかそんな生温い次元のバンドじゃなくて、まさに「ロックンロール・サクセス・ストーリー」を夢見させてくれた唯一にして、最高最大のバンドだと思う。
ビートルズが伝説を量産していた頃は、僕達の両親がリアルタイムで青春を謳歌していた。セックス・ピストルズが下克上を叩きつけ、パンクが猛威を振るっていた頃になって、僕達はようやくこの世に生を受けた。ストーン・ローゼズがレイヴ・カルチャーの洗礼を受けて、オーディエンスの意識革命とリズム革命を奇跡的に同時達成した時は、アニメ主題歌かみんなのうた以外の音楽を知るよしもなかった。そんな僕達にとって、オアシスこそが最大の「現象」だったのだ。
オアシスを前にしてしまえば、あくまでブリットポップは彩りを添える脇役に過ぎず、オアシス自体が主役なのだ。ちょうど、ニルヴァーナを語る時、グランジと言う背景が霞んでしまうのと同じことだろう。「Nevermind」と言うアルバムが、例えグランジやカートの自殺と言った付加要素を一切合財削ぎ取ってみても、真に素晴らしいロックンロール・アルバムであることに変わりはない。それは「(What’s The Story)Morning Glory?」でも通用する話なのだ。
僕がオアシスと出会ったのは、確か例の「“Country House”VS“Roll With It”頂上決戦」の辺りだったと思う。それまで僕は、ポップでノリの良いブラーが好きだった。この気持ちは今現在でさえ変わらない。そして、僕はオアシスに偏見を持っていた。要はブラーのスタイリッシュなルックスの前じゃ、オアシスなんてただのチンピラ程度にしか写らなかったのだ。その音楽もろくに聴かないで。それが、高校の休み時間に友人が発売日に買った「(What’s The Story)Morning Glory?」を聴いて一変した。ダーティーでヘビーな雰囲気が漂うロックンロールの原石。一際胸を打ち、頭に残るメロディーと声。放課後には学校帰りのその足で、何の躊躇もなくその月の小遣いの全額を握ってCD屋へと買いに走った興奮を今でも覚えている。そして、翌月には「Defenitily Maybe」を購入。それから両盤を何度聴いたか分からない。
もちろんその間も、ブラーを始めとした、ブリットポップなUK新人アーティストのチェックは怠らなかったが、ことオアシスに関してだけは飽きることはおろか、歌えるようになっても聴き続けた。音楽好きの中でも「ブラー派」と「オアシス派」に真っ二つ分かれて、互いを激しく牽制することが盛んだったが、僕にとってはオアシスもブラーも好きだったし、どちらの音楽もそれぞれに素晴らしいと思っていたので、そんな風潮は非常に滑稽で不毛にしか思えなかった。僕の音楽に対するこうした姿勢は、今もなお続けている。
オアシス熱が最高潮に達したのは、やはり「Be Here Now」の発売前後だった。僕を含めた全てのオアシス好きにとって、この時期の輝きは決して忘れられないと思う。アルバムのリード・シングル“Do You Know What I Mean?”がラジオで解禁させると速攻でテープに録音し、発売前には歌えるくらいに聴き込み、ついには巻き戻しを繰り返し過ぎてテープが伸び切ってしまうくらいだった。それにも関わらず、我慢し切れずにシングルも買ってしまい、おまけにカップリング曲が名曲であることに、妙な優越感を覚えたりした。
アルバム発売前夜には興奮して寝つけず、発売日当日は高校の夏期講習を途中で抜け出してアルバムを買い、授業終了と同じにポータブルCDに聴き入って帰りを急いだ。受験のせいで武道館ライブに行けなかった事を強烈に悔やみ、「Standing On The Shoulder Of Giants」発売時の横浜アリーナでのライブでは、発売したばかりのアルバムを徹夜で聴き込んでリベンジを成し遂げようと声が枯れるまで合唱した。
オアシスが「現在のビートルズだ」とか「ビートルズを越えた」なんて議論は、僕にはどうでも良い。そもそも60年代と90年代じゃほとんどが変わってしまっていて、両者を比較対象にするのが間違っているのだ。それにアーティスト同士を単に並べるだけでも、非常に無理な話なのだ。それに何の意味があるのだろう。ビートルズもオアシスも、「リスナーにロックンロールのゾクゾクする様な興奮を与えてくれた素晴らしいバンド」で良いじゃないか。
ただ僕等にとっては、音楽雑誌を何冊も読み漁り、レコーディング情報から単なるゴシップ情報…ホテルを破壊した・飛行機の中で暴れた・女を引っ掛けてトイレでセックスした・ドラマーを徹底的に苛めてついにはクビにした・暇さえあればポールウェラーのライヴに飛び入りする・酔っ払ってフーリガン化した・ドラッグで逮捕→釈放されたら坊主頭になってた・毎度の兄弟喧嘩による解散危機・兄弟揃って結婚→離婚→再婚・ギタリストとベーシストの連続脱退・他のアーティストに対する誹謗と中傷の嵐・そして自意識過剰なビッグマウス…と、毎月の如く提供される些細な情報の全てを追い求ずにはいられなかったアーティストこそが、オアシスだったのだ。
ブラーもレディオヘッドも素晴らしいアーティストだと思う。しかし、僕達にとって「一大現象」であったのは、オアシスだけだったのだ。あの泥棒顔兄弟のやることなすこと全てに注目し、ロックンロールが世界を、そして自分を制圧していく光景に興奮したのは、僕にとっては現時点でオアシスを置いて他にはいない。
最近、好きな音楽の幅が自分でも驚く程に広がりを見せているが、「う〜ん、これは良いなぁ」「うわー、スゲー傑作だ!」とは頻繁に想う事があっても、背筋がゾクゾクする様な興奮を感じる事はめっきり少なくなった。「オレも枯れたか…」と、シミジミと過去を振り返るのにはまだ早い。音楽雑誌を手に取り、久し振りにオアシスのインタビューを読んで見ると、「オアシスは終わった」と理屈では納得している自分がいる反面、高校生の様にワクワクと期待している自分もまだ確かにいる。こんなことって、そう易々と起きる事なんかじゃない。もう少し、これからを信じてみようと思う。まあ、「そんなの甘い!」と言われちゃーそれまでだけど。
Thanks For The Inspirations Of…
OASIS/「(What’s The Story)Morning Glory?」
JAMIROQUAI/「The Return Of The Space Cowboy(スペース・カウボーイの逆襲)」
STING/「Field Of Gold」
D’ANGELO/「Brown Sugar」
GOMES THE HITMAN/「New Atlas e.p.」「Cobblestone」「Maybe Someday e.p.」
ブリットポップを駆け抜けた僕達の世代にとっては、オアシスは「好きだ」とかそんな生温い次元のバンドじゃなくて、まさに「ロックンロール・サクセス・ストーリー」を夢見させてくれた唯一にして、最高最大のバンドだと思う。
ビートルズが伝説を量産していた頃は、僕達の両親がリアルタイムで青春を謳歌していた。セックス・ピストルズが下克上を叩きつけ、パンクが猛威を振るっていた頃になって、僕達はようやくこの世に生を受けた。ストーン・ローゼズがレイヴ・カルチャーの洗礼を受けて、オーディエンスの意識革命とリズム革命を奇跡的に同時達成した時は、アニメ主題歌かみんなのうた以外の音楽を知るよしもなかった。そんな僕達にとって、オアシスこそが最大の「現象」だったのだ。
オアシスを前にしてしまえば、あくまでブリットポップは彩りを添える脇役に過ぎず、オアシス自体が主役なのだ。ちょうど、ニルヴァーナを語る時、グランジと言う背景が霞んでしまうのと同じことだろう。「Nevermind」と言うアルバムが、例えグランジやカートの自殺と言った付加要素を一切合財削ぎ取ってみても、真に素晴らしいロックンロール・アルバムであることに変わりはない。それは「(What’s The Story)Morning Glory?」でも通用する話なのだ。
僕がオアシスと出会ったのは、確か例の「“Country House”VS“Roll With It”頂上決戦」の辺りだったと思う。それまで僕は、ポップでノリの良いブラーが好きだった。この気持ちは今現在でさえ変わらない。そして、僕はオアシスに偏見を持っていた。要はブラーのスタイリッシュなルックスの前じゃ、オアシスなんてただのチンピラ程度にしか写らなかったのだ。その音楽もろくに聴かないで。それが、高校の休み時間に友人が発売日に買った「(What’s The Story)Morning Glory?」を聴いて一変した。ダーティーでヘビーな雰囲気が漂うロックンロールの原石。一際胸を打ち、頭に残るメロディーと声。放課後には学校帰りのその足で、何の躊躇もなくその月の小遣いの全額を握ってCD屋へと買いに走った興奮を今でも覚えている。そして、翌月には「Defenitily Maybe」を購入。それから両盤を何度聴いたか分からない。
もちろんその間も、ブラーを始めとした、ブリットポップなUK新人アーティストのチェックは怠らなかったが、ことオアシスに関してだけは飽きることはおろか、歌えるようになっても聴き続けた。音楽好きの中でも「ブラー派」と「オアシス派」に真っ二つ分かれて、互いを激しく牽制することが盛んだったが、僕にとってはオアシスもブラーも好きだったし、どちらの音楽もそれぞれに素晴らしいと思っていたので、そんな風潮は非常に滑稽で不毛にしか思えなかった。僕の音楽に対するこうした姿勢は、今もなお続けている。
オアシス熱が最高潮に達したのは、やはり「Be Here Now」の発売前後だった。僕を含めた全てのオアシス好きにとって、この時期の輝きは決して忘れられないと思う。アルバムのリード・シングル“Do You Know What I Mean?”がラジオで解禁させると速攻でテープに録音し、発売前には歌えるくらいに聴き込み、ついには巻き戻しを繰り返し過ぎてテープが伸び切ってしまうくらいだった。それにも関わらず、我慢し切れずにシングルも買ってしまい、おまけにカップリング曲が名曲であることに、妙な優越感を覚えたりした。
アルバム発売前夜には興奮して寝つけず、発売日当日は高校の夏期講習を途中で抜け出してアルバムを買い、授業終了と同じにポータブルCDに聴き入って帰りを急いだ。受験のせいで武道館ライブに行けなかった事を強烈に悔やみ、「Standing On The Shoulder Of Giants」発売時の横浜アリーナでのライブでは、発売したばかりのアルバムを徹夜で聴き込んでリベンジを成し遂げようと声が枯れるまで合唱した。
オアシスが「現在のビートルズだ」とか「ビートルズを越えた」なんて議論は、僕にはどうでも良い。そもそも60年代と90年代じゃほとんどが変わってしまっていて、両者を比較対象にするのが間違っているのだ。それにアーティスト同士を単に並べるだけでも、非常に無理な話なのだ。それに何の意味があるのだろう。ビートルズもオアシスも、「リスナーにロックンロールのゾクゾクする様な興奮を与えてくれた素晴らしいバンド」で良いじゃないか。
ただ僕等にとっては、音楽雑誌を何冊も読み漁り、レコーディング情報から単なるゴシップ情報…ホテルを破壊した・飛行機の中で暴れた・女を引っ掛けてトイレでセックスした・ドラマーを徹底的に苛めてついにはクビにした・暇さえあればポールウェラーのライヴに飛び入りする・酔っ払ってフーリガン化した・ドラッグで逮捕→釈放されたら坊主頭になってた・毎度の兄弟喧嘩による解散危機・兄弟揃って結婚→離婚→再婚・ギタリストとベーシストの連続脱退・他のアーティストに対する誹謗と中傷の嵐・そして自意識過剰なビッグマウス…と、毎月の如く提供される些細な情報の全てを追い求ずにはいられなかったアーティストこそが、オアシスだったのだ。
ブラーもレディオヘッドも素晴らしいアーティストだと思う。しかし、僕達にとって「一大現象」であったのは、オアシスだけだったのだ。あの泥棒顔兄弟のやることなすこと全てに注目し、ロックンロールが世界を、そして自分を制圧していく光景に興奮したのは、僕にとっては現時点でオアシスを置いて他にはいない。
最近、好きな音楽の幅が自分でも驚く程に広がりを見せているが、「う〜ん、これは良いなぁ」「うわー、スゲー傑作だ!」とは頻繁に想う事があっても、背筋がゾクゾクする様な興奮を感じる事はめっきり少なくなった。「オレも枯れたか…」と、シミジミと過去を振り返るのにはまだ早い。音楽雑誌を手に取り、久し振りにオアシスのインタビューを読んで見ると、「オアシスは終わった」と理屈では納得している自分がいる反面、高校生の様にワクワクと期待している自分もまだ確かにいる。こんなことって、そう易々と起きる事なんかじゃない。もう少し、これからを信じてみようと思う。まあ、「そんなの甘い!」と言われちゃーそれまでだけど。
Thanks For The Inspirations Of…
OASIS/「(What’s The Story)Morning Glory?」
JAMIROQUAI/「The Return Of The Space Cowboy(スペース・カウボーイの逆襲)」
STING/「Field Of Gold」
D’ANGELO/「Brown Sugar」
GOMES THE HITMAN/「New Atlas e.p.」「Cobblestone」「Maybe Someday e.p.」
コメント